暁のハルモニア第二話のレポートと感想【ネタバレあり】~ちょこっと世界史「カトリックとプロテスタント」
『暁のハルモニア』第二話 あらすじ【ネタバレあり】
主な登場人物についてはこちらの記事で。
偶然天文学者ヨハネス・ケプラーに出会ったヨアヒムとイザーク。ヨアヒムはケプラーの後に続いて歩を進めながら、ケプラーの研究の素晴らしさを熱心に語っていた。ケプラーの唱える論文の疑問点をも率直に話すヨアヒムにケプラーは「是非二人で検証してみないか」と提案する。感激に震えるヨアヒム。
ケプラーはイザークがカトリックの司祭であることで、彼の前でこのような話をしてもいいものかと躊躇してみせる。カトリックは天動説を信じていてケプラーやヨアヒムが考える地動説を否定していた為だ。
それに対してイザークは気にしない素振りで「人間が少しでも神を理解したいと願って、神が創造された世界の秘密を知ろうと力を尽くすことは御心にかなう行いなのではないかと思う」と答える。イザークの答えに気をよくしたケプラーは「神が御心を託されたこの宇宙、星々の世界は得も言われぬ美しい調和の元に動いている。それは聖書にも劣らぬ天の書物なのだ」と語った。
そこへ再び騎馬隊の蹄音が聞こえ、ヨアヒムたちは急いで身を隠す。騎馬隊は彼らには気が付かず去っていくのだが、先頭に居た女性は先ほどヨアヒムたちにケプラーの行方を尋ねたあの女性だとヨアヒムは気が付いた。あの騎馬隊は「カトリック改革委員会の連中だ」とケプラーは言った。帝国内にカトリックの教えを徹底させるため、皇帝がイタリアから招兵した一派らしい。
彼らはケプラーを宗教裁判に掛けようと行方を追っているらしい。ケプラーは宮廷天文学者であった為皇帝には認められているはずであるのに、皇帝の勅命でケプラーを追い詰めようとするのはおかしいと訝るイザークに、「皆が君のように理解があるといい」と、ケプラーは苦笑を返した。
彼らがレーゲンスブルクの街に辿り着いたのは11月2日、寒風の激しく吹き荒ぶ日であった。「街に着いたら借金の取り立てをせねば」と言うケプラーに、不思議そうに理由を尋ねるヨアヒム。なんでもケプラーは皇帝に、宮廷天文学者として務めた給金をまだ全額支払ってもらっていないらしい。皇帝は帝国議会の為にこのレーゲンスブルクの街に滞在していた。
イザークはこっそりヨアヒムに耳打ちして、ケプラーに訊きたかった事を早く訊くようにと急かした。ヨアヒムは旅の道中にケプラーと議論することが楽しく、この関係が壊れてしまう事を危惧して何も聞き出せずにいたのだ。
と、突然ケプラーが激しくせき込みだした。慌てて駆け寄るヨアヒム。ケプラーはひどい高熱を出しており、ヨアヒムは街に入ったらすぐに休むようにと申告した。レーゲンスブルクの宿で、ケプラーはベッドに入るなり高熱で起き上がれなくなってしまった。苦しむケプラーの傍に付いていたヨアヒムとイザークだったが、イザークはそろそろ宮廷司祭である伯父の元へ向かわなくてはいけない頃だった。天文学者で医者でもあるヨアヒムはもう少しの間ケプラーの元にいて看病すると言い、二人はそこで一旦別れることした。
ヨアヒムと別れたイザークは広場に面した高級旅館「金の十字架邸」を訪れた。イザークの伯父はここに宿泊しているらしい。イザークが豪華な部屋に感心していると奥から彼を呼ぶ伯父の声が聞こえた。伯父は火事で教区が焼けてしまい職を失ってしまったイザークを労うと、親しみのこもった声色で彼を傍に呼び寄せた。
イザークの伯父は突然真面目な顔で「お前には夢があるか」と彼に尋ねた。突然の意外な問い掛けに吹き出した甥を見て、イザークの伯父は「そう言うと思ったよ」と表情を緩めた。イザークと彼の伯父はどうやら似た者同士らしい。家の為に司祭になったはいいが、権威ばかり気にする他の聖職者たちとは馴染めない。「つまらぬ人生だ」と零した伯父だったが「私は夢を見たのだ。ある偉大なお方の内に」と熱く語ってみせた。
イザークの伯父が夢を見出したという御人は下級貴族の生まれであり、身分も金もなくただ己の才覚のみで比類なき名声を勝ち得た人物であるらしい。「あの方が力のみを頼りに果たしてどこまでいけるのかを見届けたい」と語るイザークの伯父。そしてなんとイザークと共にその夢を分かち合いたいと申し出たのだった。これにはさすがのイザークも驚いたが、伯父は「お会いすればお前にもきっとわかる。一人の偉大な英雄をこの世に輝かせるため、私と共に尽くしてくれ」と、真剣に頭を下げたのだった。
一方、ヨアヒムの懸命な看護もむなしくケプラーの命は既に風前の灯火であった。病床のケプラーはヨアヒムに部屋の窓を開けてくれるよう頼む。風が体に障る、とヨアヒムはこれを断るが、ケプラーがどうしてもと懇願するので少しだけ開けてやった。
気持ちよさそうに外の空気を吸い込むケプラーの姿を見つめ、ヨアヒムはついに今まで黙っていた旅の目的をケプラーに告げる。ヨアヒムがかつてケプラーの共同研究者であったティコ・ブラーエの息子であることを知ったケプラーはたいそう驚いた様子だったが、宇宙の話をするヨアヒムの瞳の輝きに、かつてのティコの姿を見出していたことを語った。
本当の父の話を聞きたいというヨアヒムにケプラーはぽつりぽつりと語り出した。「ティコは本当に嫌な奴だった。派手好きで傲慢、星の観測記録もちっとも見せてくれない、自分たちは性格が全然合わなかった」と、笑うケプラーは「とはいえティコの観測記録は自分には到底収集できぬものであり、それを分析できる能力を持つのは自分以外には誰も居なかった」と、真面目な顔で述べた。ティコは宴会中に尿毒症で亡くなったが、最期に「自分の人生が無駄でなかったことを証明してくれ」と、人生を掛けて収集した観測記録をケプラー託したという。
真実を知ったヨアヒムは己の考えが間違いでなかったことを痛感した。ケプラーはヨアヒムに旧友との真実を聞いてくれた事に対して礼を言った。真実を知る由もないティコの遺族に言いがかりをつけられ責められた過去があったことなどもヨアヒムに話した。
”君のおかげでティコと出会った頃のあの純粋な心の高ぶりを最後に思い出せた”。
ケプラーはヨアヒムに自分の荷物の中から手帳を取り出すよう頼んだ。それは日ごろケプラーが思いついた事を書きとめた手帳だった。「その手帳に書かれている着想はすべて君のものにしていい」とヨアヒムに告げたケプラーは「人々が信仰を巡る対立に明け暮れ、地上がいかに戦乱に満ちていても、星々の運行は決して乱れる事は無い。願わくは、天上に調和のあるがごとく、地上にもあらんことを」と言い残し、そのまま息を引き取ったのだった。
ーー1630年11月15日、ヨハネス・ケプラーは58年の生涯を閉じた。彼はレーゲンスブルクの共同墓地に埋葬され、墓碑銘にはこう刻まれた。「かつて我は天を測れり、今は地の影を測る」
ケプラー亡き後、ヨアヒムはケプラーの遺した手帳を読みふけり、最後に記されていた暗号のような数字の羅列の解読に夢中になっていた。ヨアヒムを心配して彼の元を訪ねてきたイザークに、ヨアヒムは例の暗号が記されたページを見せた。記号も何もなくただ数字だけが並んだページ。これらは数式ではなくなにかの暗号だと認識したヨアヒムは前後の文章から「天体同士が引き合う力についての論考」だと推測する。ケプラーがわざわざ暗号で記していることからそれだけ重要な事が書かれているのだろうと考えたのだった。
「新しい世界に繋がる心理がきっとここにある」と確信するヨアヒムは、この暗号を必ず解読し、父であるティコ・ブラーエがヨハネス・ケプラーに、そしてケプラーが自分に残そうとしたものをこの世界の為に役立てなくてはならない、と使命に燃えた。そんなヨアヒムの横顔を、イザークは眩しそうに見つめるのだった。
イザークは、自分はこれからプラハへと向かうと友に告げた。イザークの伯父がその身の内に夢を見たと語った御人の元へ向かう為だった。その御人とは、デンマーク軍を破った伝説の傭兵隊長ヴァレンシュタイン公。イザークの伯父は彼をヴァレンシュタインの告解聴聞司祭に推薦したのだ。
※「告解聴聞司祭」を思いっきり「国会弔問司祭」と書いていたので修正しました(汗)。無知で申し訳ありません(>_<)
因みに「こっかいちょうもんしさい」は「告解聴聞司祭」です。告解を聴く、つまり”ゆるしの秘跡”を授ける司祭。身分の高い人はよく専属の告解聴聞司祭をお傍に置くのですが、相談相手として多大な権力を握る者も多かったのです。皇帝フェルディナント2世の告解聴聞司祭ラモアマイーニなどが有名です。
— 並木陽 (@namicky24) 2018年9月6日
感想
しつこいようですが、朝夏まなと様演じるアマーリエ様はまだ登場しません。これは次回のお楽しみとして第二話の感想ですが、偉大な天文学者であるヨハネス・ケプラーのお茶目過ぎる口ぶりにちょっとびっくり。この人が本当に天体物理学者の先駆的存在だというのか…。
得てして偉大な人というのは己の賢さを表には出さないものなのかもしれない(私のかかりつけの漢方の先生もそうですし)。
物語のテーマになっている”願わくは、天上に調和のあるがごとく、地上にもあらんことを”というのはケプラーが最期に残した言葉だったのですね。今後のヨアヒムの信念ともなる世の平和を願う美しい言葉です。
また二話の最後ではヨアヒムとイザークに別れが訪れます。二人は宗派の違いだけでなく性格的な面でもわりと対照的に思われますが、真っ直ぐな志に燃えるヨアヒムを眩しく思うイザークの姿が印象的でした。
登場が待ちきれないので、アマーリエ様なまぁ様をちょっと想像で♡
ちょこっと世界史「カトリックとプロテスタント」
三十年戦争のきっかけとなったカトリックとプロテスタントの対立。同じキリスト教を信仰しているにも関わらず大きな宗教戦争にまで発展してしまった二つの宗派について調べてみました。
番組の中で「ローマ教皇を神の代理人とし、聖母マリアや成人を崇敬する古くからの信仰、カトリック。そこから分かれ、聖書のみを重んずる新しい信仰、プロテスタント」と紹介されていた通り、旧教と呼ばれる「ローマ=カトリック」は古くからの伝統を重んじ、ローマ教皇を頂点に崇め、これが覆されることはありません。この絶対的なピラミッド体制こそが「ローマ=カトリック」が長く続いてきた証拠なのかもしれません。
一方そんなカトリックに反発して生まれた新しい宗派が、新教と呼ばれるプロテスタントです。プロテスタントとは直訳すると「抗議する人」を意味します。細かなしきたりがあるカトリックに比べてプロテスタントは教派ごとに少しずつ特徴の異なることを許している、比較的自由な信仰であるといえます。
対立のきっかけ
この二つの宗派が対立するきっかけとなったのは1517年にドイツのマルティン=ルターが発表した「九十五カ条の論題」によるものとされています。ルターはサン=ピエトロ大聖堂改築の建築費を賄うために贖宥状(罪の償いを軽減する証明書)を発行したローマ=カトリック教会を強く批判しました。これを機にかねてからカトリック教会に不信感を募らせていたドイツの人々はルターを支持し、その運動は大きく広まっていったのです。
まずは教会。カトリックの教会の内装は豪華絢爛で、彫像などが飾られたいそう華やかです。また懺悔室があることも特徴。これに対してプロテスタントの教会の内装はいたってシンプル。十字架とパイプオルガンだけという教会が多いです。これは内装に多額の金銭を掛けるのであればその分布教活動に使いたいというプロテスタントの考えによるものなのだそう。
また聖職者の事をカトリックは神父と呼びますが、プロテスタントは牧師と呼びます。そもそもプロテスタントは聖職者ではなくあくまで”聖書の内容を教える者=教職者”と考えている事にも二つの宗派の違いが見て取れます。
…なるほどなるほど、では月組公演『ALL FOR ONE -ダルタニアンと太陽王-』で美弥るりか様が演じておられたアラミス神父様はカトリックというわけですね。そういえば懺悔室もありましたよね!
他にも修道院制度があったり、聖母マリアや聖人信仰があるのがカトリックで、そういった偶像崇拝の類がなく、あくまで聖書のみを重んじているのがプロテスタントなのです。
また「儀式を行えるのは司祭のみ」という教えがあるカトリックに対し、プロテスタントでは「信徒全員が平等に神と繋がっている」という信念がある為、万人祭司といってプロテスタントの教会においては「牧師でなくても信徒が儀式を行うことが出来る」という点も二つの宗派の大きな違いと言えるでしょう。
(参考資料:https://dettalant.com/post/catholic-and-protestant/ 、後藤武士著『読むだけですっきりわかる世界史近代編 コロンブスから南北戦争まで』 )
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